ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)の労働争議・まとめ
遠山日出也
WAN争議の最中にも、さまざまな広い問題提起がおこなわれていた。たとえば、tigrimpa(ユニオンWAN)さんが「WAN争議の論点整理」として書かれた「(3)大学専任教員の体質」や菊地夏野さんの「で、問題は。。ユニオンWAN争議(1)」は、(フェミニストの)大学専任教員のあり方を論じている。また、yamtomさんの「WANの労働争議と、非営利団体内での労働の搾取問題」やtigrimpa「WAN争議の論点整理」の「(2)(IT産業における)技術者の立場」という文は、産業(or運動体)内のweb担当者の問題を取り上げた。
また、「3.和解の成立と残された問題」で紹介した「ある法律事務所の労働条件についての議論」では、あるフェミニズム系企業における劣悪な労働条件の問題が論じられた。
それだけでなく、この争議がきっかけになって、以下の2つの、非営利団体や市民(フェミニズム)運動における労働問題を考える集いが開催された。
当日は、遠藤礼子「WAN争議の経過と要点」、カサイ「女の仕事の評価:シャドウワークとしての一般事務」、質疑応答、グループワーク、全体議論、の順で進められた。
[全体のレポート]
山口智美「遠藤さん、カサイさんの報告と集会での議論の要点」フェミニズムの歴史と理論2010年8月2日……非常に詳細なレポート(以下は内容の一例):○遠藤さんの話――NPOでのパワハラや上司が何もわかっていない中での現場の人の苦労については労働相談の中でも気になっていたこと、[理事会について]「集団になると無責任になる」という現象、解決金額に関する評価など。○カサイさんの話―― 一般事務は重要な仕事だが軽視されること、NPOでは雇う側の権力性が気づかれにくいこと、など。○質疑応答――NPOでも、労使交渉の話が出たら仕事を干されたりとかは多いという会場からの指摘など。○グループワークや自由討議での議論――運動体では一生懸命するあまり心身を病んで、ストレスのはけ口を弱者に求めることあること、労働運動30年の経験で、一番使用者の質が悪いのがNPO、など。
[参加者個々人による考察]
山口智美「集会から浮かんだ課題と感想」フェミニズムの歴史と理論2010年8月2日……争議の経過から浮かんださまざまな問題(*)とともに、ネットをめぐる諸問題や自らが経験したNPOでの労働との共通性についても述べる。
(*)理事会から被雇用者への事前相談のなさ。理事会が仕事内容を理解していないため、指揮命令系系統が機能しておらず、現場の人が苦労する。一般事務という仕事の内容が理解されず、評価されなかった。有償労働と無償労働の人が同居することから生じる問題。「善意」にもとづいていることになっているNPOでは、権力関係が隠蔽されがちになる。理事側が使用者としての責任や労使交渉などについて理解が浅い。NPOの中の労働者は人数が1、2人で孤立しがち、など。
斉藤正美「ユニオンWAN集会を振り返って」フェミニズムの歴史と理論2010年8月3日……ボランティア的無償労働と有償労働が併存する中での困難や両者の関係、女性学の大学教員が主体になっている団体に言挙げすることの困難についてなど。
カサイ(元ユニオンWAN)「続・カサイの気持ち」フェミニズムの歴史と理論2010年8月4日……社会的属性による働き(かせ)方の区別や「強制された自発性」は、NPOや研究組織でも広く存在すると述べる。
[WANサイトのイベント欄に集会の告知を投稿したが、掲載されず]
yamtom「WANに集会案内投稿を掲載してもらえなかったようだ」ふぇみにすとの論考2010年4月25日。
[全体の簡単なレポート]
マサキチトセ「レポート」日本女性学会『学会ニュース』120号(2010年10月)→NPO法人WAN労働争議を支援する2010年11月17日……ミヤマアキラ:フェミニズムにおける平場主義やシスターフッドなどの幻想が労働における権力関係を隠蔽する、清水晶子:フェミニズムやジェンダー研究における恒常的な資金不足の下、若手研究者が自発的に無償労働をする構造がある、など。
[参加者個々人による考察]
斉藤正美「フェミニズム運動や研究組織の非正規・無償労働問題ワークショップ」ジェンダーとメディア・ブログ2010年6月24日……「ボランティア労働と賃労働をどう捉えるか」という自らの発題を中心に議論――「オルタナティブ」として「ボランティア労働」を打ち出す向きがあるが、アカデミック・キャリア上将来見込めるかもしれない利益などを考えると、どこまで「自発的」かは疑問である、「ボランティア労働」は、ずっと運動では「麗しいもの」されてきたが、自省が必要だ、また、運動や研究組織では事務労働は「労働」扱いされづらいが、そうした労働は主婦的労働者がやってきたという構造がある、など。
菊地夏野「ワークショップに参加して」おきく's第3波フェミニズム2010年6月21日……アカデミズムの中の問題について。
菊地夏野「個人より構造」おきく's第3波フェミニズム2010年6月24日……大学という組織の中の労働問題。
私はこの問題については全然詳しくないのですが、既存の研究について簡単にメモしてみました。
近年、NPOにおける労働問題は注目されているようだ。私がちょっと調べただけでも、『日本労働研究雑誌』515号(2003年6月)は「NPOと労働」という特集を組んでおり、『Business Labor Trend』2004年9月号は「NPOで働くということ―その将来性と課題」という特集を、『日本労働法学会誌』112号(2008年)は「有償ボランティアと労働法」というシンポジウムの特集をしている。また、大槻奈巳「女性のNPO活動と金銭的報酬――キャリア形成の視点から――」『労働社会学研究』7号(2006年)や渋谷典子「NPO『活動者』と労働法についての予備的考察――ジェンダー視点を踏まえて」『ジェンダー研究』10号(2007年)、内藤節子「中高年女性といって事業型福祉NPOは職業選択肢のひとつになりえるか」『女性学年報』29号(2008年)は、女性・ジェンダーという視点からアプローチしている。
ただし、全体としては、法律的アプローチや比較的制度化されたNPOの賃金労働者に焦点を当てたアプローチが多く、運動団体やボランティアなどについては、あまり視野に入っていないようだ。運動内部の権力関係なども(正面からは)考察されてれていない。また、賃金などの統計はあっても、個人レベルの実態やトラブルについてはあまり扱っていないという限界もあるように思う(もっとも、『NPOの労働環境実態調査 報告書』は、ナマの声を拾っているが、団体[経営側]中心である)。
といっても、ボランティアに焦点を当てた考察が皆無というわけではなく、笹沼朋子「新しい公共圏における抑圧構造――ボランティアという名の搾取」(『法の科学(民主主義科学者協会法律部会機関誌「年報」)』37号[2006年])は、「主婦ボランティア」の中には、社会や家族で差別されているがゆえに、自らに対する「承認」と「感謝」を求めて自らの意思を売り渡す傾向があるということや、市民派の運動団体もそうした「女性の不安定な立場を利用し尽してきた」ことを指摘しており、興味深い。争議中、WAN理事会は、「『WANがボランティアを搾取している』などと言うのは、NPOに対して無理解な議論だ」と主張していたが、必ずしもそうは言えないこともわかる(もろちんマルクス経済学で言う「搾取」とは異なるが、それならば、フェミニストが言う「主婦労働に対する搾取」も同じである)。金子良事「『やりがい搾取』の構造は互酬の否定である報酬拒否から生まれる」(社会政策・労働問題研究の歴史分析・メモ帳2010年1月4日)は、「報酬をもらわずにやっていることにアイデンティティを感じ、実際、そのことを動力にして働いている(……)ボランティア」が、「報酬を貰っている、あるいはちょっと多めに受け取っている他者を貶めるようなことがあれば、その時点で彼らこそ批判されるべき」ことなどを指摘しており、ボランティア的無償労働と有償労働の併存の問題にも触れている。
運動団体における解雇・セクハラ裁判としては、市川房枝記念会不当解雇撤回裁判、社民党セクシュアルハラスメント裁判、愛知地域労働組合きずな裁判の各ブログ・サイトも参考になろう。また、運動内部の利害対立や個の尊重の問題に関しては、「ひびのまこと」さんたちの実践や考察からも学ぶものがありそうだ(ひびのさんが挙げておられる各団体の事情に関してはわからないが、ひびのさんのサイトには、たとえば、プロジェクトP『第3回東京レズビアン・ゲイ・パレード資料集』のような貴重な記録が掲載されている)。
また、2012年3月、あるNPO法人のインターン募集が、単なる搾取ではないかとtwitter上で話題になった(「これはインターンと呼んでいいのでしょうか?」)
「インターネット問題」という視点からのアプローチとしては、2011年に開設された「フェミニズムとインターネット問題を考える」サイトがある。このサイトは労働問題がメインではないけれども、「ネット・メディア利用全体として」のページ(斉藤正美・山口智美執筆)で、「IT弱者」の問題や「シャドウワークとしてのIT関連労働」の問題が取り上げられている。
大学というシステムの問題に関しては、アカデミック・ハラスメントに関する議論が参考になるのではないか。この問題に関しては、つとに上野千鶴子編『キャンパス性差別事情 ストップ・ザ・アカハラ』(三省堂 1997年)が出版されている。この本は、「アカハラ」を「研究職固有の性差別」と定義しており(p.5)、定義が狭い(焦点を絞っている)が、江原由美子「<アカハラ>を解決困難にする大学社会の構造的特質」など、アカハラ問題全体に参考になる個所もある。とくに、江原氏が批判的に記述している「大学社会」(「大学組織」と複数の大学組織にまたがる特定の専門領域のムラ的な「研究者集団」)のあり方は、フェミニズム研究者(集団)においては、どのようであるのかは気になる。また、2001年に設立された「アカデミック・ハラスメントをなくすネットワーク」は、「アカデミック・ハラスメントの実態調査研究 大学および大学教員に対するアンケート調査結果報告書[PDF]」「アカデミック・ハラスメントをなくすために[PDF]」(2004年)などを出している。その他、菊地さんが上記の「ワークショップに参加して」という一文で触れておられる、「キャンパス・セクシュアル・ハラスメントの困難――ホモソーシャルな大学」『女性学年報』23号(2002年)も参考になろう。
以上のようなものは参考になるにせよ、非営利団体の労働問題などについては、既成の研究が乏しいことはたしかであり、上の2つの集会の成果も今後に生かしていく必要があると思う。
・「2.争議の経過」で紹介した「新春爆笑トークをめぐって」は、WANにおけるこの争議の扱い方を、現在のフェミニズム・ジェンダー論のあり方の問題と関連づけて論じている。
・山口智美・斉藤正美・荻上チキ『社会運動の戸惑い』(勁草書房 2012年 「フェミニズムの歴史と理論」サイトの特設ページ参照)は、第7章「フェミニズムとメディア、インターネット」(山口・斉藤執筆)において、WANが抱える諸問題を、1990年代以降のフェミニズム運動のメディア発信の問題点(中央からのトップダウンであること、双方向性の欠如など)の中に位置づけている。
・つとに菊地夏野「フェミニズムとアカデミズムの不幸な結婚」(『女性学』12号[2005年])は、学問としてのフェミニズムにおける「女」という同一性の肯定と女性学の権威主義化、フェミニズム研究の方法論の制度化(=一面での弱体化)などを関連づけて論じている。